ジャパンカップ1998年 エルコンドルパサーの飛躍 | 穏健なる競馬のブログ

ジャパンカップ1998年 エルコンドルパサーの飛躍

過去のジャパンカップを振り返りたいと思いますが、

1998年のジャパンカップの優勝馬はエルコンドルパサー。

当時は外国産馬がダービーに出られない時代で、同世代のダービー馬はスペシャルウィークでしたが、このジャパンカップの舞台で初対戦することになりました。

また男勝りの女傑エアグルーヴともこのジャパンカップで対戦することに。

3歳の外国馬エルコンドルパサーvs同世代のダービー馬スペシャルウィークvs女傑エアグルーヴの構図の中、

1番人気はスペシャルウィーク、2番人気はエアグルーヴ、エルコンドルパサーは3番人気でこのレースを迎えることになります。

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1998年ジャパンカップまでの有力馬の経過

エルコンドルパサー 毎日王冠までの闘い

その前に1998年のジャパンカップまでの有力馬の経過を見ていきたいと思いますが、

エルコンドルパサーは先ほども書いたように外国産馬で、同世代にはスペシャルウィークやグラスワンダーがいた世代で、最強世代の一つと目されています。

そんな中で当時はエルコンドルパサーやグラスワンダーは外国産馬のためにクラシックには出走できず、

グラスワンダーは朝日杯3歳(現在の2歳)Sまで負けなしの4連勝でしたが、その後に故障を発症し3歳の春を棒に振ることになります。

一方のエルコンドルパサーはNHKマイルでGI初勝利を挙げ、NHKマイルまで負けなしの5連勝という戦績を引っさげていましたが、そんな無敗の両雄は毎日王冠で初めて雌雄を決することになります。

しかしその毎日王冠では、そんな無敗の2頭よりも注目される馬がいました。

稀代の逃げ馬、サイレンススズカ。

この馬と無敗馬2頭の三つ巴が注目される中、レースはサイレンススズカのペースを刻んでいきます。

1000m通過、57秒7。

普通の馬には明らかに速すぎるペースですが、サイレンススズカにとってはご存知のようにマイペースで、

4コーナーで後続が近づいてくるも直線では後続を突き放し、サイレンススズカは2着馬のエルコンドルパサーに2馬身半の着差をつけ、2着馬のエルコンドルパサーも3着馬には5馬身もの差をつけていました。

上位2頭の強さが際立ったレースでもあると同時に、グラスワンダーは本調子ではなかったこともあり5着に敗退しています。

3歳クラシック~菊花賞までの闘い

クラシックンに出走できない外国馬2頭がそんな物語を紡(つむ)いでいた一方、

クラシックではスペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイローが3強と見られ、激しい戦いが繰り広げられていました。

皐月賞はセイウンスカイが勝利したものの、当時は芝生の保護のために仮柵が外から内に変更されていたことで、馬場の内側にグリーンベルトができていました。

3番枠から先行したセイウンスカイと18番枠から差してきたスペシャルウィークでは、内外の有利不利は確かに大きかったように思います。

続くダービーではスペシャルウィークが馬群の中から差し切って勝利を飾り、武豊ジョッキーに初のダービータイトルをもたらすことになります。

そして迎えた秋初戦。

セイウンスカイは古馬相手の京都大賞典を選び、スペシャルウィークは京都新聞杯を選ぶとそれぞれが勝利を挙げ、菊花賞で再び相まみえることになります。

その菊花賞ではセイウンスカイがペースを握り、3000mを逃げて3分3秒2という当時のレコードで駆け抜けると、

2着のスペシャルウィークを3馬身半置き去りにして、皐月賞との2冠を達成することになります。

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女傑エアグルーヴの臨戦過程

また一方で古馬戦線に目を向けると、女傑エアグルーヴが牡馬相手に良績を挙げていました。

前年の天皇賞秋を牝馬が制する、という衝撃の中心にいた彼女は、

その年のジャパンカップでも2着、続く有馬記念でも3着と好走し、その年エアグルーヴは年度代表馬にも選ばれています。

翌1998年の宝塚記念ではサイレンススズカの3着と敗退してしまいますが、牡馬相手の重賞にも勝利を重ね(大阪杯(当時G2)、札幌記念)、秋はエリザベス女王杯から始動。

その牝馬同士のGIで3着と敗れたものの、牡馬相手にも引けを取らないその能力は証明済みで、2番人気の支持を背に受けてジャパンカップの出走を迎えることになります。

1998年ジャパンカップ エルコンドルパサーの飛躍

またこの1998年は、天皇賞秋でサイレンススズカを悲劇が襲った年でもありました。

レースでは軽快に逃げながら3コーナー過ぎに競走を中止した彼は、その後予後不良の措置が取られることになってしまいます。

まだどこかでそんな哀しみの余韻が残る中で迎えたジャパンカップだったと思いますが、レースの1番人気はジャパンカップと同じ距離のダービーを制していたスペシャルウィーク。

エルコンドルパサーはこれまで1800mまでしか経験がなく、血統からも2400mが疑問視され3番人気になっていました。

レースはサイレントハンターが後続を離して逃げる中、1000m通過は60秒5。

ペースとしては遅めの流れの中で人気馬3頭は先行集団に取りついて競馬を進め、最後の直線では3強の追い比べに。

人気馬の中で最も前に位置していたエルコンドルパサーが早めに先頭に立つと最後の直線でも突き放し、2着のエアグルーヴにつけた着差は2馬身半。

スペシャルウィークはエアグルーヴからさらに半馬身遅れた3着という結果になり、その後エルコンドルパサーは、フランスに拠点を移して凱旋門賞を目指すことになります。

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1998年ジャパンカップ レース結果

着順馬名ジョッキー馬番人気着差
1エルコンドルパサー蛯名正義113
2エアグルーヴ横山典弘122 1/2
3スペシャルウィーク岡部幸雄91 1/2

勝ち時計 2分25秒9

ラップタイム 13.4 – 11.1 – 12.2 – 11.9 – 11.9 – 12.0 – 12.7 – 12.6 – 12.5 – 12.6 – 11.2 – 11.8

単勝 ⑪ 600円
馬連 ①-⑪ 1,980円

またエルコンドルパサーが海外に舞台を求めたために、このレースは同世代のエルコンドルパサーとスペシャルウィークの最初で最後の対決となり、

結果から見るとエルコンドルパサーとスペシャルウィークの勝負づけは済んだように思えるかもしれません。

ただスペシャルウィークのローテーションを改めて見てみると、菊花賞2着から中2週でのジャパンカップの参戦ではあり、

3000mを好走して中2週でのジャパンカップは、少しタイトなローテーションではあったようにも思います。

エルコンドルパサーのその後の活躍ぶりを見れば、エルコンドルパサーの強さは確かだとは思いますが、

もしもエルコンドルパサーとスペシャルウィークが同じようなローテーションで走っていれば、もっと差は詰まっていたのではないか?・・・

この年のジャパンカップを振り返ってみたとき、そんな「もしも」を考えてみたくなります。

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