サイレンススズカは大逃げがその特徴で、
後続を何馬身も置き去りにして逃げながらも勝ち切ってしまうその走りに魅了された人も多かったと思います。
私もその一人でその逃げっぷりの気持ち良さ、痛快さに心惹かれましたが、彼の物語は突然終わりを迎えることになります。
天皇賞秋での故障発生。
その記憶は競馬ファンの一人としてはとても嫌な記憶でもありますが、彼の偉大な足跡とその魅力、そして天皇賞秋の悲劇を振り返りたいと思います。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
サイレンススズカ 主役になれなかった3歳時
サイレンススズカは3歳(馬齢については現在の年齢で記載しています)の2月とデビューは遅く、
2戦目の弥生賞では騎手を振り落としてゲートをくぐるという精神的なモロさをレースで見せていました。
そして大外枠からの出走になっても出遅れてしまい、この弥生賞の着順は8着と大敗し、クラシックに向けて順調さを欠くことになりました。
その後にプリンシパルSを制してダービー切符を手に入れるものの、本番のダービーではサニーブライアンが逃げて2冠を達成。
この時サイレンススズカは9着と敗退することになります。
そして秋初戦に選んだ神戸新聞杯で2着になった後は3000mの菊花賞に向かうことはなく、天皇賞秋で古馬との初対戦を迎えることになります。
この時に手綱を取った河内騎手はレースで大逃げを打ち、最初の1000mを58秒5というタイムでサイレンススズカを走らせるものの、最後の直線では残り200mを過ぎたところで後続に捕まり、
前年の覇者バブルガムフェローと牝馬のエアグルーヴの一騎打ちとなり、エアグルーヴが牝馬として17年ぶりに天皇賞を制したことが話題になります。
次のマイルチャンピオンシップでは、逃げたのは同世代の桜花賞馬キョウエイマーチ。
そのキョウエイマーチは2着に粘り込むものの、サイレンススズカは2番手から競馬を進めるも15着と大敗。
このレースを制したのはこちらも同世代のタイキシャトルで、その後タイキシャトルは短距離界で君臨することになります。
この頃のサイレンススズカはまだ主役になるには至らず、この頃の彼の走りを見ていた時には、後に大逃げで勝ちまくる姿は個人的には想像できないものがありました。
ただ天皇賞秋でも1000m通過58秒5というハイペースで飛ばしながらも、3着のジェニュインとはハナ-クビ-クビ差の6着と健闘。
またデビューが遅かったように他の馬に比べても体の成長は遅かったようで、その後に徐々に体が成長してきたこともあったのかもしれませんが、
香港への遠征を挟んだ翌4歳のシーズン、武豊騎手を背に快進撃を始めることになります。
サイレンススズカ~金鯱賞での圧巻の走り
またサイレンススズカはこれまでも大逃げを打つことはありましたが、4歳になってからはその大逃げのスタイルに徹することになります。
バレンタインステークス、中山記念、小倉大賞典と大逃げで3連勝を飾り、3つの1800m戦で刻んだ1000mの通過タイムは57~58秒。
並みの馬ならバテてしまうペースでも、サイレンススズカはそのペースに耐えてしまう。
徐々に道中で息を入れることを覚えていき、武豊騎手をして「逃げて差す」と言わしめることになりますが、その非凡な才能が開花しつつありました。
そして2000mに距離を延ばした金鯱賞では圧巻の走りを披露することになります。
ゲートが開くと気持ち良さそうにその逃げ足を伸ばしていき、1000m通過タイムは58秒1。
この時のラップは以下のようになっています。
12.8 – 11.2 – 11.2 – 11.5 – 11.4 – 11.4 – 12.0 – 12.4 – 11.7 – 12.2
2ハロン目から6ハロン目までの1000mは11秒台のラップを刻み続け、その後の800mも12秒台後半のラップタイムを刻むことなく、まさしく影をも踏ませぬ快走を見せ、
1分57秒8という当時のレコードタイムを「大逃げ」というスタイルで叩き出すことになります。
そして後続につけたタイム差は1秒8。着差は大差という圧巻の走りを披露することになりました。
次の宝塚記念では鞍上は南井騎手に乗り替わり、相手はさらに強化され、距離もさらに200m延びて、枠順は大外枠になりましたが、
いつもの大逃げのスタイルで後続の追撃を凌ぎ切ると、4歳になってからは無傷の5連勝で初のG1を制することになります。
サイレンススズカ~毎日王冠でエルコンドルパサー、グラスワンダーと対決
そしてひと夏を越えてから、秋初戦の始動戦にサイレンススズカは毎日王冠を選びます。
このレースにはエルコンドルパサーとグラスワンダーという、その時点で「無敗」という看板を引っさげた3歳馬2頭も出走し、3強の対決に注目が集まりました。
エルコンドルパサーは春には無傷の5連勝でNHKマイルカップを制し、グラスワンダーは前年暮れの朝日杯3歳ステークス勝利まで無傷の4連勝。
対するサイレンススズカは4歳になって5連勝で宝塚記念を制覇。
そんなレース前の期待感から人気も3頭が分け合っていましたが、サイレンススズカはその中でも単勝1.4倍という圧倒的な支持を受けることになります。
ゲートが開くとサイレンススズカはいつものペースを刻んでいき、ここでの1000m通過タイムは57秒7。
ペースとしてはいつものサイレンススズカの逃げでしたが、このレースでは他馬もサイレンススズカをマークしていたためか、それほど後続を引き離した大逃げというわけではありませんでした。
そして3~4コーナーでは外からグラスワンダーが忍び寄り勝ちに行く競馬を試みて、4コーナーでは後続とサイレンススズカとの差が縮まっていきますが、
最後の直線でもサイレンススズカの脚は鈍ることなく、上がり3ハロンを35秒1でまとめると、エルコンドルパサーを2馬身半置き去りにして先頭でゴール板を駆け抜けることになります。
このレースに関しては、厳密にはエルコンドルパサーは休み明けは一息のタイプで、二ノ宮調教師も後にこう語っています。
毎日王冠もイスパーン賞もそうだったが、休み明けだと必ずモタつくんだよね。
(引用元:Number Plus 「競馬 黄金の蹄跡」)
またグラスワンダーは前年暮れの朝日杯3歳ステークスからの長い休み明けだったことからも、ベストコンディションではなかったことが伺われます。
そう考えるとこのレースだけで勝負付けが済んだと考えることは早計かもしれませんが、
ただサイレンススズカも59kgを背負ってのレースではあり、そしてあれだけの大逃げを打ちながらも上がり3ハロンはエルコンドルパサーよりもコンマ1秒遅いだけの35秒1と、2番目に速い上がり時計でまとめてもいます。
その大逃げに魅了されたサイレンススズカのファンも多いと思いますし、
後のエルコンドルパサー、グラスワンダーの活躍からも、このレースで2頭を破ったことはサイレンススズカのファンにとっては大きな一戦として記憶に刻まれていることだと思います。