サイレンススズカは大逃げが持ち味で、その気持ち良いほどの大逃げは人々の心をつかみました。
サイレンススズカは4歳になってその才能に磨きをかけていきましたが、一方では若き世代も台頭。
エルコンドルパサーとグラスワンダーという3歳馬2頭は、それぞれ無敗で同世代のG1を制していました。
そして毎日王冠でこの3頭は激突することになります。
(馬の年齢は現在の年齢で表記しています。)
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サイレンススズカ伝説のレース 毎日王冠
サイレンススズカの名レースとしては、大差で勝利した金鯱賞もありますが、
後に凱旋門賞で2着になるエルコンドルパサーを下し、またG1・4勝を挙げることになるグラスワンダーも下した毎日王冠も名レースの一つとして数えられると思います。
元々は素質がありながらも気性の難しさが災いしていたサイレンススズカ。
そんな彼は3歳暮れの香港遠征から武豊騎手を背に迎えると、大逃げのレースを展開していくことになります。
そして通常なら止まってしまいそうなペースで大逃げを打っていきますが、それでもサイレンススズカは残ってしまう。
後に武豊騎手をして「逃げて差す」と言わしめることになりますが、当初は粗削りだった大逃げのスタイルも徐々に完成しつつありました。
一方では若い世代の台頭も著しく、エルコンドルパサーやグラスワンダー、スペシャルウィークやセイウンスカイといった面々がサイレンススズカの1つ下世代で凌ぎを削っていました。
後にこの世代は「最強世代」の一つと評されることになりますが、エルコンドルパサーはこの時点ではNHKマイルを勝ったばかりで、後に2400mでジャパンカップを制することになり、凱旋門賞で2着になることはこの当時はまだ知る由もないことでした。
またグラスワンダーも後にグランプリを3勝(有馬記念2勝、宝塚記念1勝)することになりますが、毎日王冠では前年暮れの朝日杯からの休み明けではあり、今から振り返るとローテーションからは順調さを欠いていたことを伺わせます。
とはいえ2頭とも無敗でG1を制していたことに違いはなく、その存在感やスター性は充分で、
この毎日王冠では古馬のサイレンススズカと無敗の3歳馬2頭の対決に注目が集まることになります。
このレースを見るために競馬場を訪れたファンは13万人とG1並みの観客動員数でしたが、ゲートが開くとサイレンススズカは2番枠からいつもの逃げを打っていき、
最初の1000mで刻んだタイムは「57秒7」
後続を離した大逃げになっても不思議ではないペースでしたが、このレースでは他のジョッキーもサイレンススズカをマークしていたのか、特別に後続を離した大逃げではないままにレースは進んでいき、
そして4コーナーを迎えるとサイレンススズカの後ろに各馬が忍び寄ってきます。
通常ですとこうした局面では、ハイペースで逃げていた馬は後続の各馬に飲み込まれていくものですし、早めに押し上げてきたのはあのグラスワンダー。
ここからどうなる?という最も緊張感のある局面でしたが、しかし直線に向いてもサイレンススズカの脚色は衰えることなく、逆に後続を突き放しにかかりラスト3ハロンを35秒1でまとめると、
2着になったエルコンドルパサーに2馬身半の差をつけてゴールを駆け抜け、無敗の3歳馬2頭の挑戦を退けて勝利を挙げることになります。
またグラスワンダーも早めに前に行く積極的な競馬で勝ちに行く姿勢を見せましたが5着と敗退することになり、無敗の3歳馬2頭はこの毎日王冠でサイレンススズカに初めて敗北を喫することになりました。
とはいえエルコンドルパサーは休み明けはあまり良くない馬で、後に管理していた二ノ宮調教師は以下のように語っています。
毎日王冠もイスパーン賞もそうだったが、休み明けだと必ずモタつくんだよね。
(引用元:Number Plus 「競馬 黄金の蹄跡」)
またグラスワンダーも前年の朝日杯からの休み明けでもありましたので、このレースだけで3頭の勝負付けが済んだと考えるのは早いのかもしれませんが、
ただサイレンススズカも休み明けで59kgを背負っての勝利ですし、サイレンススズカのファンの方にとってはエルコンドルパサー、グラスワンダーというスーパーホース2頭を破った一戦として大切な位置づけの一戦ではあると思います。
1998年 毎日王冠のラップタイム
またこの毎日王冠のラップは以下のようになっています。
12.7 – 11.0 – 10.9 – 11.4 – 11.7 – 12.1 – 11.6 – 11.4 – 12.1
1000m通過は57秒7。2ハロン目から5ハロン目までは11秒台のラップを続けていて、5ハロン目-11秒7、6ハロン目-12秒1とここで若干遅いラップになりますが、
ラスト3ハロン目からは11秒6-11秒4と再び加速して後続を突き放し、ゴール直前はやや流し気味でラスト1ハロンも12秒1でまとめています。
「逃げて差す」と武豊ジョッキーが言うのもうなずけるラップで、ただ逃げて差すと言っても並みの逃げではありませんし、これだけ速いラップを刻みながらもラストの3ハロンを35秒1でまとめるというのも驚きで、
ハイペースで逃げながら、なおも最後に脚を使えるところにサイレンススズカの凄みを感じます。
強い先行馬も速いペースで前で競馬をしながら、最後もさらに伸びる競馬を見せますので「負けにくい」スタイルだと思いますし、
名馬は長く良い脚を使うと言われますが、2000m前後でこれだけスピードの持続力があると後続はなす術がないと言いますか、
瞬発力勝負を選んで後ろでじっと構えすぎればサイレンススズカとの距離が離されすぎてしまいますし、かといってサイレンススズカを追いかければそこで脚を使わされてしまいます。
どちらにしてもサイレンススズカを負かすなら、サイレンススズカ並みに長く良い脚が使えることが必須条件になると考えられますし、サイレンススズカは負かすことが難しい馬だったことは確かだと思います。
終わりに
負かすことが難しいサイレンススズカだと思いますが、彼の走りを止めたのは他ならぬ彼自身でした。
「左手根骨粉砕骨折」
期待された次の天皇賞秋で、彼の体は悲鳴を上げることになります。
走る馬ほど故障のリスクは付き物ですし、その素質ゆえに起こった悲劇だとは思いますが、
走りたくてうずうずして大逃げのレースを続けていたとしたら、
競走馬として生まれてきたこと、そして精一杯の大逃げのスタイルで勝ち続けてきたことにも心の底から納得して、そして満足して天寿を全うしてくれたのではないか?
身勝手かもしれませんが、そう思いたい自分がいます。