サイレンススズカのその大逃げのスタイルは人々の心を魅了し、華麗なる逃亡者として記憶に残る名馬として刻まれています。
天皇賞秋でも単勝オッズは1.2倍と圧倒的な支持を受けていましたが、このレースでまさかの事態が起こることになります。
左手根骨(しゅこんこつ)粉砕骨折。
天皇賞秋であの悲劇がなかったら・・・
いまだにその想いが断ち切れませんが、ここではサイレンススズカの天皇賞秋のレースを振り返りながら、
もしも故障しなかったら・・・という点を考えてみたいと思います。
なお馬の年齢については現在の年齢で記載しています。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
サイレンススズカ 天皇賞秋までの軌跡
サイレンススズカは3歳時にはダービーにこそ出走したものの9着と敗退。
クラシックに縁がないままに3歳時を終えることになり、弥生賞ではゲートをくぐってしまうという精神的な幼さを見せるレースもありました。
この当時は気性面からは大成することは難しいのではないか?と個人的には思っていましたが、その後に武豊騎手を鞍上に迎えると大逃げのスタイルに磨きをかけていくことになります。
4歳になってからは、バレンタインステークス(OP)、中山記念(G2)、小倉大賞典(G3)と1800m戦を3連勝。
その後に2000mに距離を延ばした金鯱賞では、後続を離した大逃げを打ちながらも最後は後続に1秒8もの大差をつけて、しかもレコードで制するという離れわざを見せつけることになりました。
そして南井騎手に乗り替わった宝塚記念を制すると、4歳になってからは5連勝で初のG1タイトルを獲得することになります。
そして迎えた秋初戦に選んだのは毎日王冠。ここでエルコンドルパサーとグラスワンダーという無敗の3歳馬2頭との対戦を迎えることになります。
ここでもいつものハイペースで気分よく逃げていき、刻んだ1000m通過タイムは57秒7。
4コーナーでは差を詰められるものの、そこからさらに加速して後続を突き放し、上がり3ハロンを35秒1でまとめるとエルコンドルパサーに2馬身半の差をつけて勝利を飾ることになります。
後にエルコンドルパサーが凱旋門賞で2着になり、グラスワンダーもグランプリを3勝(有馬記念2勝、宝塚記念1勝)することになりますが、この時点ではそのことは知る由もないことでした。
またエルコンドルパサーは休み明けはあまり良くない馬で、後に二ノ宮調教師はこう語っています。
毎日王冠もイスパーン賞もそうだったが、休み明けだと必ずモタつくんだよね。
(引用元:Number Plus 「競馬 黄金の蹄跡」)
またグラスワンダーも前年の朝日杯3歳ステークスからの休み明けで、休養期間が長かったことからも順調ではなかった調整過程を伺わせます。
それらの点から考えれば、このレースだけで勝負付けが済んだと考えるのは難しいかもしれませんが、サイレンススズカも休み明けで59kgを背負っての競馬でもありましたし、
特にエルコンドルパサーに日本で唯一土をつけたレースでもあり、サイレンススズカのファンの方々にとっては思い入れを強く持ちたいレースではあると思います。
サイレンススズカ 天皇賞秋での悲劇~3コーナー過ぎで悪夢の故障発生
そして迎えた天皇賞秋。その大逃げのスタイルに磨きをかけてきたサイレンススズカは適距離と見られていたこのレースで、単勝オッズ1.2倍とダントツの支持を受けることになります。
そしてこの年の秋の天皇賞は11月1日の東京11レース。サイレンススズカは1枠1番、1番人気。
当然サイレンススズカが1着になって・・・
そう考えていた方も多かったと思いますし、私も強い勝ち方を期待していました。
どれだけ離して逃げるのか?
どれだけの着差で勝ってくれるのか?
これまでのレースぶりを見ていれば、ここはサイレンススズカが勝つに違いない。
あとはどんな勝ち方を見せてくれるのか?レース前にはそんな期待感がありました。
そしてゲートが開くと1番枠からいつものように、見ている人の心をつかむような気持ちの良い大逃げを披露していきます。
この時に刻んだ1000m通過タイムは57秒4。
いつものサイレンススズカのペースで後続を大きく引き離した大逃げに、レースの期待感は高まっていきます。
快調に逃げ足を伸ばすサイレンススズカでしたが、しかし3コーナー過ぎで突然の異変が彼を襲います。
サイレンススズカはガクッとバランスを崩しましたが、この瞬間には何が起こったか私は事態が飲み込めず、
いや飲み込みたくなかったのかもしれませんが、ここからサイレンススズカが再び加速してレースに勝ってくれるのではないかと、この時もまだ彼の走りを期待をしていました。
ただ後続の各馬がサイレンススズカを続々と追い抜いていく様子を見て、サイレンススズカに起こった事態を飲み込まざるを得なくなっていきます。
悪夢の故障発生。
その後のレースはオフサイドトラップが勝つことになりましたが、
サイレンススズカは最後の直線を迎えることなく、サイレンススズカの大逃げの舞台はここで突然の幕切れを迎えることになります。
サイレンススズカのレースはここで突然の終わりを迎えることになりましたが、
まだ生きていてさえくれれば彼の産駒が走るところを見ることができる。
サイレンススズカのレースが残念な結果だっただけに、あとはその望みに賭けていましたが、
その後のニュースでその時の故障が左手根骨(しゅこんこつ)粉砕骨折だったこと、そして安楽死処分となったことが知らされることになります。
コメント
スズカファンの一人として、こういう記事に巡り合えたことに感謝します。
あの走りを見ることができた私たちは幸せだった。
本当にそう思います。
はじめまして!返信が遅くなりましたが、コメントをいただいてありがとうございます!
サイレンススズカのような大逃げを打つ馬は他にもいましたが、
彼ほど強かった大逃げを打つ馬は、私の競馬歴では記憶にありません。
本当に私もサイレンススズカが好きでした。
ありがとうございました。