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天皇賞秋1998年のラップタイムと、この時もしも故障しなかったら・・
またこの秋の天皇賞のラップタイムは以下のようになります。
13.0 – 10.9 – 10.7 – 11.2 – 11.6 – 12.0 – 13.4 – 12.9 – 11.2 – 12.4
最初の1ハロン目が13秒フラットとやや遅かったためか2~3ハロンは10秒台のラップを刻んで、4~5ハロン目は11秒台。
そして1000m通過が57秒4。
彼らしい大逃げのペースで6ハロン目は12秒フラットとややペースダウンしますが、
次の13秒4という急激なペースダウンと共にサイレンススズカの脚が悲鳴を上げることになります。
またレース中の故障発生とその後の安楽死処分という悲劇的な結末から、
どうしてもサイレンススズカがもしも故障しなかったら・・・
そんな「もしも」を考えたくなります。
もしもサイレンススズカが故障しなかったら、この秋の天皇賞はどんなレースになっていたのでしょうか?
この時のレースを改めて見てみると、実況では「サイレンススズカが、仮柵が内側に移動したグリーンベルトに向かって・・・」と伝えられていましたので、時計が出やすい馬場だったと思われますし、
同じ2000mの金鯱賞を1分57秒8。
毎日王冠は1800mを1分44秒9で走り、残り1ハロンを遅く見積もって13秒0で走ったとしても1分57秒9となりますので、
サイレンススズカの能力を持ってすれば2000mは1分57秒台、遅くても58秒台前半で駆け抜けていたと考えられます。
そしてこの時のオフサイドトラップの勝ち時計が1分59秒3でしたので、少なくとも1秒以上は離して、場合によっては2秒ほどの大差をつけて勝っていたのかもしれません。
もしも故障しなかったら・・その後は
またその後はジャパンカップが予定されていたと言われていますので、2400mに伸びてどうだったか?
この辺りは議論が分かれるところだとは思いますが、まず私自身はサイレンススズカ・ファンの一人ですので、ひいき目もあるかもしれませんがサイレンススズカは「2400mをこなしたと思いたい」という気持ちがあります。
そんな私が考えるに、過去の走破時計から考えてみると近い距離では宝塚記念が2200mで2分11秒9。
ただこの時の2000m通過タイムは1分59秒6と平凡なタイムではありますし(初騎乗でG1がかかっていた中で南井騎手も慎重な騎乗になったのかもしれませんが。)
先ほども書いたことになりますが、毎日王冠は1800mを1分44秒9で走り、残り200mが13秒0かかったと仮定しても1分57秒9。そして金鯱賞が1分57秒8。
ですので2000mの距離であれば、サイレンススズカは遅くても1分58秒台前半で走破したものと思われます。
仮に2000mを1分58秒0で走ったとして、ここから残り400mがどれだけかかったか?
もしも1ハロン12秒5×2ハロン=25秒0かかったとすれば2分23秒0、
1ハロン13秒0×2ハロン=26秒0かかったとすれば2分24秒0で2400mを走れることになります。
13秒0×2であればサイレンススズカの身体能力を持ってすれば充分に出すことは可能な数字のようには個人的には思えますし、2分23秒0の時計が出せても不思議はないかもしれません。
(これはあくまで私の想像にすぎません。)
またこの年のジャパンカップは最初の1000mが60秒5で、この時の走破時計は2分25秒9。
このレースで逃げたのはサイレントハンターでしたが、このサイレントハンターは秋の天皇賞ではサイレンススズカの2番手につけていて、
その時にはサイレンススズカはサイレントハンターよりも約10馬身以上前でレースを進めていました。
おそらくサイレンススズカであれば、2400mの距離でも最初の1000mは58秒台のタイムで通過していたと思われますし、
単純にジャパンカップのサイレントハンターよりも2秒速かったとすると1000m通過は58秒5。
そして最初の5ハロンはこのようなラップを刻んでいたのかもしれません。
13.5 – 11.0 – 11.0 – 11.5 – 11.5
末尾を0か5でシンプルに考えてみましたが、秋の天皇賞でも最初の1ハロン目は13秒0でしたし、距離が2400mですので最初の1ハロン目は13秒5のラップを刻んだとして、残りを上記のラップで走って58秒5になります。
その後は多少は息を入れていき12秒後半のラップで推移していくのか?やや速めの12秒台前半ペースでレースを進めるのか?
サイレンススズカと武豊騎手であれば、後者を選んでも不思議ではない気もしますので、その仮定で話を進めますが、
まず12秒0とややスローに落としてから12秒3-12秒3-12秒4というラップを刻んだとして、
その後は「逃げて差す」と武豊騎手に言わしめた差し脚を繰り出していき、12秒0-11秒6-12秒4(計36秒0)で上がり3ハロンをまとめたとするとラップは以下のようになります。
13.5 – 11.0 – 11.0 – 11.5 – 11.5 – 12.0 – 12.3 – 12.3 – 12.4 – 12.0 – 11.6 – 12.4
この場合の走破時計は2分23秒5になります。
またジャパンカップではエルコンドルパサーも叩き2戦目で、この時のレースを改めて見てみると2~3番手の内でコースロスなく競馬を進めています。
またエルコンドルパサーは逃げたサイレントハンターからは、1000m通過時点で7~8馬身は後ろにいたでしょうか。
1秒=6馬身と言われますので、エルコンドルパサーはサイレントハンターより1秒以上は遅く1000mを通過していたことになりますし、
サイレンススズカはサイレントハンターの2秒前でレースを進めたと仮定していますので、サイレンススズカとエルコンドルパサーの差は1000m通過時点ではおよそ3秒以上。
ラスト3ハロンの瞬発力勝負に賭けたとしても、サイレンススズカを捕らえるには33秒を切る瞬発力が必要になります。
(上記の時計でサイレンススズカが走りきれて上がり3ハロンを36秒0でまとめたと仮定した場合ではありますが。)
ただ実際のジャパンカップでエルコンドルパサーが出した上がりは35秒0。
まだエルコンドルパサーは3歳馬でもありましたし馬場状態もあったとは思いますが、サイレントハンターの逃げでも道中は差を詰めるために脚を使っていたと思われますし、そのために上がりのかかる競馬になっています。
またサイレンススズカはスピードの持続力がすさまじいですので、サイレンススズカを負かすのなら残り3ハロンからの勝負では厳しいと思いますし、
残り800m、または残り1000m地点からギアを上げて追いかけていかないとサイレンススズカは捕まらないのではないかと思います。
長く良い脚を使えるのかどうか?
この消耗戦の勝負に持ち込んで2400mをサイレンススズカが耐えられたとすれば、2000m前後の距離と同様に他の馬が音を上げることになり、一叩きした当時のエルコンドルパサーにも再び土をつけていた可能性は充分だったと思います。
また順調に使われていれば海外G1を制していたかもしれませんし、サイレンススズカは左回りが得意でしたのでアメリカのG1にと武豊騎手も語っていましたので、
さらにG1の勲章を積み重ねていたことは間違いなく、その勲章は種牡馬になってからも良質な繁殖牝馬と配合されるチャンスが増えることにつながりますし、良い子供を送り出すチャンスも増えたと思います。
果して種牡馬になっていればどうだったのでしょうか?
今となってはこのことは誰にとっても想像の域を超えないことではあります。
しかしサイレンススズカはその物語を終えてなお、もしも故障しなかったらという未来を想像したくなる偉大な名馬だったとも言えます。
終わりに
もしもサイレンススズカが故障しなかったら、という点についてはサイレンススズカ・ファンの一人としてのひいき目はあるかもしれませんが、
2000m前後なら強い、ということは疑いないことだと思います。
またサイレンススズカは秋の天皇賞で突然レースの終わりを迎え、それが同時に彼との永遠の別れにもなってしまいました。
その自らの速さのように風になったサイレンススズカでしたが、あれだけの爽快な気持ちの良い大逃げを見せられて、その走りに魅せられてしまうと、
それだけにもしも故障しなかったら、もしも産駒が走っていたら・・・
どうしてもいまだにそんな想いが湧き上がることがあります。
そしてあれだけ気持ちの良い大逃げを見せていたサイレンススズカも、おそらく気持ち良くレースを進めていたと思いますし、納得のいく競争生活を全うしてくれたと思いたいですし、
見ていた私たちにとってサイレンススズカの最期は残念な結末でしたが、もっと悲しく無念な思いを抱えたのは武豊騎手や馬主、調教師などの関係者のはずで、
サイレンススズカは最高の走りと鮮烈な思い出を残してくれましたし、
少なくとも、あの走りを見ることができた私たちは幸せだった。
そのことは確かなことだと思います。
その思い出を胸に残しつつも、あれだけの走りを見せられると、
いつかまた同じような逃げ馬が出てきてくれたら。
どうしてもそんな夢も見てしまいます。
コメント
スズカファンの一人として、こういう記事に巡り合えたことに感謝します。
あの走りを見ることができた私たちは幸せだった。
本当にそう思います。
はじめまして!返信が遅くなりましたが、コメントをいただいてありがとうございます!
サイレンススズカのような大逃げを打つ馬は他にもいましたが、
彼ほど強かった大逃げを打つ馬は、私の競馬歴では記憶にありません。
本当に私もサイレンススズカが好きでした。
ありがとうございました。