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ディープインパクト有馬記念2005年でハーツクライに敗北の衝撃
迎えた暮れの有馬記念。
ディープインパクトは後方からレースを進めていましたが、そこには驚きの光景もありました。
いつもは後方からレースを進めるハーツクライをルメール騎手は3~4番手の前で競馬に導いていきます。
結果的にはそれはディープインパクトの敗北の序章だったということになりますが、もちろんレース中にそのことを考えた競馬ファンはいなかったと思います。
ディープインパクトはいつものように飛んでくれるはず。
誰もがそんな期待をしながらレースが進んで行きます。
また前走のジャパンカップではハイペースで逃げたタップダンスシチーも、ここではペースをスローに落としていき前半の1000mは実況によると1分1秒8。
ラップタイムは以下のようになっています。
7.0 – 11.4 – 11.7 – 12.1 – 12.9 – 13.0 – 12.2 – 11.8 – 12.0 – 12.3 – 12.0 – 11.4 – 12.1
5~6ハロン目で12秒9、13秒0と緩いラップを刻んでいますがそれ以外では11秒台から12秒前半までのラップで、
途中では緩いペースに落として息を入れながらも、そこからはペースを上げて後続に脚を使わせる作戦をタップダンスシチーの佐藤哲三騎手が取っていたと言えるかもしれません。
そんなペースの中、後方に位置していたディープインパクトは1コーナーからややポジションを上げていき一旦は中団やや後方で待機しながら、3~4コーナーから満を持して進出を開始。
ディープインパクトがここから飛んでくる!
ほとんどの競馬ファンがそう考える中で、しかしなぜかディープはいつもの飛ぶような伸びを欠くことになり、前で競馬を進めていたハーツクライに半馬身差まで詰め寄るのが精一杯という衝撃の結末が待っていました。
歓声よりもどよめきが渦巻く中、4番人気だったハーツクライが圧倒的1番人気のディープインパクトを破るという金星を挙げることになります。
有馬記念2005年でのディープインパクトの敗因は?
この時のディープインパクトの敗因は何だったのでしょうか?
この時は調子が悪かったとも言われていますし、この時期の中山の力のいる馬場がディープの切れ味を削いだのかもしれませんし、
翌年の有馬記念は圧勝でしたがこの時はまだ3歳。この時点ではまだパワーが付ききっていなかったのかもしれません。
ただハーツクライもその後は世界を相手にドバイシーマクラシックで勝利を挙げたように、古馬になって力をつけていたこともまた確かなことでもありました。
この時ハーツクライが静かに、しかし着実に力をつけていたことは、ディープインパクトの光が強すぎるゆえの盲点になっていたのかもしれません。
終わりに
ディープインパクトはその走りも衝撃でしたが、その華麗な走りゆえに敗北はそれ以上の衝撃として受け止められるほど競馬ファンの期待を背負っていた名馬と言えます。
このディープインパクトに国内で唯一の黒星をつけたのはハーツクライ。
そのハーツクライの同世代のダービー馬はキングカメハメハで3歳秋に引退してしまいましたが、もしも同時に走ったらどちらが強かったのか・・・
また脚質は全く正反対でしたが大逃げのサイレンススズカとディープインパクトが勝負をしたら・・・
最強馬の一頭と目される偉大な名馬だけに、ついつい他の名馬との競演を想像したくなります。
コメント
良くまとめられていて読みやすかったです。
ディープ敗北の序章の序章としては、何が何でもディープに勝ちたかったルメールが、どうすれば良いかと考えるなかで、先に同じく唯一無敗の三冠馬となっていた皇帝・シンボリルドルフの全レースの動画を観まくって研究を重ね、ルドルフのレース運びが出来れば勝ち負けになると踏んで実践したというのがあったそうです。
それを見た武豊・ディープは焦っていつもの様に悠然と後方待機で足を溜める事ができず、凱旋門賞の時と同様に怒涛の未脚が繰り出せなかったというのが見てとれますね。
何度観てもシビれます!
コメントありがとうございます!
ルメール騎手がルドルフのレースぶりを研究していたというのは、私自身は初耳でした。
情報をありがとうございます。
武豊騎手もハーツクライが前で競馬するのは想定外だったかもしれませんね。
そういえばこの時の私も、ハーツクライが後ろから競馬をすると想定していて、
それなら厳しいかも、
と思って馬券を外した苦い思い出があります!
様々な駆け引きがあって、競馬は面白いですね♪