福永洋一・天才的な伝説騎手の凄さと武豊との比較~落馬事故から現在 | 穏健なる競馬のブログ

福永洋一・天才的な伝説騎手の凄さと武豊との比較~落馬事故から現在


(出典「photoAC」)

福永祐一騎手のお父さんは、伝説的な天才騎手でもある福永洋一元騎手で、

毎日杯での落馬事故によってリハビリ生活を余儀なくされることになりましたが、

それまでの福永洋一元騎手の活躍を知っている方にとっては、

福永洋一元騎手は武豊騎手を凌ぐ存在と評価をするほどの天才的な騎手だったと言われています。

では福永洋一元騎手の魅力はどのようなところにあったのでしょうか?

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伝説的ジョッキー~福永洋一の天才性

福永洋一元騎手は伝説的な天才ジョッキーと言われていますが、

身体能力はもちろん、武豊騎手と同じように「歩く競馬四季報」と言われていたようで、

急な騎乗の依頼があった場合にも、その馬の特徴を言い当てていたと言われています。

またその騎乗ぶりも通常では考えられないもので、それゆえにカリスマ性があったとも言われていますし、

能力的に足りないと思っていた馬でも福永洋一元騎手が乗ると走ったとも言われていて、

それまでの走り方とは違った走り方で結果を出したとも言われています。

「洋一を乗せると、(好勝負に持ち込むには)能力的に足りないと諦めていた馬でも走ってしまった。しかもレースの内容がほかの騎手を乗せていたときとは全然違う。

それまでは追走に四苦八苦していた馬をスイスイと逃げに導いてしまったり、逆に先行して一息だった馬を思い切った待機策から直線一気の追い込みを決めてみせたり。

調教師の支持したようには乗ってくれない、まあ、言ってみれば扱いにくいタイプなんだけど、指示とは違う競馬をして、しかも結果を出してしまうものだから文句は言えない。

どう乗ってくるか、ゲートが開くまで調教師でさえ想像がつかないんだ。

そういう意味でも、いまの武豊がまだ備えてはいない強烈なカリスマ性を、彼だけは確かに持っていましたね」

(※1)

またセオリーを破った乗り方をすることも多く、若いうちからセオリーに捉われない乗り方をしていたとも言われています。

「セオリーを破った場合、結果を出すことができれば許されても、結果が出せなければ何を言われるかわからない。それでも福永洋一は、駆け出しの頃からそれをしていたのである。」

(※2)

私自身は福永洋一さんの現役時代を知っているわけではなく、その凄さを知っている関係者の言葉の端々から、福永洋一さんの凄みを感じているにすぎませんが、

セオリーを破った乗り方をすること自体が、非常に勇気が必要なことだと思いますし、

そうした乗り方が実践できること、そして結果を出せることが、他の騎手と福永洋一元騎手の大きな違いだったと言えるのかもしれません。


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天才・福永洋一元騎手と武豊騎手の比較

この常識に捉われない柔軟さは武豊騎手にも垣間見える一面だと思いますが、

(個人的にはクロフネのジャパンカップダートで、3コーナー過ぎで先頭に立った走りは常識からは考えられない騎乗ぶりだったと思います。)

福永洋一元騎手は、若いうちから常識的な考え方に捉われずに、豊かな発想の元で実際に競馬で騎乗していたのかもしれませんし、

セオリーを破って失敗することもあったようですが、それを続けていくことで磨かれていった彼独特の感性があったのかもしれません。

そして福永洋一元騎手と同期の岡部幸雄元騎手は、武豊騎手と福永洋一元騎手の違いについて以下のように本に書いています。

「武豊騎手の場合はミスのない選択ができ、福永洋一の場合は彼にしか考え出せないような選択肢を見つけ出していたということもあるだろう。」

(※3)

岡部幸雄騎手は「武豊騎手の最大の武器はミスをしないことだと思う。」(※4)と評していますが、

福永洋一元騎手に対しては「彼にしか考え出せないような選択肢」と語っていますし、それは他の騎手との違いをクッキリと浮かび上がらせ、

福永洋一元騎手の現役時代を知る競馬関係者の方々の発言から考えると、その意外性や他の誰もが考え出せない騎乗で結果を出すという点は、

武豊騎手をもってしても、まだ福永洋一元騎手には及ばない領域と言えるかもしれません。

ニホンピロムーテーの菊花賞

またこの福永洋一元騎手の騎乗でよく例に出されるのが昭和46年の菊花賞で、

このレースでは追い込み馬だったニホンピロムーテーで、途中から早々と先頭に立って勝利を収めています。

このレースでは福永洋一元騎手は向こう正面に入ってすぐに先頭に立つ競馬を見せていますが、

当時は菊花賞でそうした乗り方をすることは邪道中の邪道と言われていたそうです。(※5)

菊花賞という長丁場のレースだけに、早めに先頭に立つにしても普通に考えればかなり早いタイミングで先頭に立ったレースで、

こうした競馬でなおかつ勝ってしまうところが福永洋一元騎手の凄さで、

実際の競馬でセオリーを無視した乗り方をすること自体が、非常に勇気が必要なことで難しいものだと思いますが、

特にこのレースではG1という大舞台でニホンピロムーテーは1番人気だっただけに、余計にその大胆さが浮かび上がってくるように思います。

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ハードバージの皐月賞

また昭和52年のハードバージの皐月賞も福永元騎手の名レースとして挙げられるレースで、

このレースでは4コーナーから直線での際どいコース取りが語り草になっていて、

「ラチの外側から飛び込んできたのかと思った」とこのレースで2着になった柴田政人調教師は発言しています。(※6)

実際の競馬では瞬間的な判断が様々な場面で求められると思いますが、

このレースでは福永元騎手の的確な判断力と思い切ったコース取りがクローズアップされた場面と言えます。

こうした思い切った騎乗を実際の競馬で行えたのも、

「行ける」という福永洋一元騎手の感性になるのか、その判断の裏付けとなる感覚的な何かがあったのだとは思いますが、

こうした大胆な騎乗を大舞台でやってのけていたところに福永洋一元騎手の大胆さや豪胆さが伺えますし、

相撲でも心技体と言われますが、その胆力や豪胆さという心の強さが、福永洋一元騎手と他の騎手の最も大きな違いだったのかもしれません。

福永洋一元騎手の落馬事故から現在に至るまで

そんな福永洋一さんは9年連続でリーディングジョッキーになるなど活躍を続けていましたが、

昭和54年の毎日杯で落馬事故に巻き込まれたことで、頭がい骨骨折・脳挫傷・舌裂傷という重症を負うことになり、

一命は取り止めたものの騎手として復帰することはできず、その後は由美子夫人と共に現在まで続くリハビリ生活を送ることになります。

その懸命なリハビリの姿勢については、息子の福永祐一騎手も以下のように発言しています。

「僕が長い間見てきた父は、母と一緒に懸命にリハビリに取り組んでいた努力の人だったし、

それだけで僕にとっては十分に尊敬できる存在だったんです」

(※7)

もしかすると父親だったら、息子に自分のカッコいい姿を見せたかった。

そんな想いは心のどこかにあったのかもしれませんが、

起こってしまったことを受け入れながら懸命なリハビリ生活を続けたことは、

息子の祐一さんや娘の洋美さんに良い影響を与えたのかもしれません。

その後祐一さんはお父さんと同じ騎手を目指し、娘の洋美さんは母親の姿に憧れて理学療法士の資格を取って、介護の道を選択しています。(※8)

また祐一さんが騎手としてデビューした時には騎乗馬が多く集まり、

その背景には「昔、洋一さんにお世話になったから」という方が多くいたことが挙げられています。(※9)

福永洋一さんは屈託のない笑顔も魅力的だったと言われていますし、

その騎乗技術や騎乗ぶりが凄いだけでなく、人間的にも魅力や人徳がある方だったのかもしれません。

そして福永洋一さんの生まれ育った場所が高知だったことから、

高知競馬場で平成22年から「福永洋一記念」が創設され、当日には福永洋一さんもこのイベントに出席されたことがあるようです。

※1・6~9(引用、参考:Number PLUS 競馬 黄金の蹄跡)

※2~5(引用、参考:勝負勘 岡部幸雄元騎手)

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終わりに

ここでは福永洋一元騎手の天才ぶりと現在に至るまでをご紹介してきましたが、途中でも書きましたが私自身は福永洋一元騎手の現役時代を知っているわけではありません。

また結果を知った今の時点で過去の映像を見たとしても、どこかでその凄みはリアルガチ(出川さん?)には伝わりにくい部分はあるように思います。

何を言いたいかと言えばですね、

やはりスポーツは結果が分かっていない中でリアルタイムで見ていた方がドキドキ感やスリル感がありますし、

その中でセオリー破り、破天荒とも思える騎乗をしながらも結果を出してしまう福永洋一元騎手の凄みは、

実際に彼の現役時代を知っている方々でないと、なかなか肌身で理解することは難しいようにも思いますし、

その意味では福永洋一元騎手の現役時代を知らないことに対する寂しさもあります。

ただ何をするのか、ゲートが開くまで分からない。

そう思いながら競馬で騎手を見ることはあまりありませんし、

G1で人気を背負っていてもこれまでと違う走り方で勝負されると、

馬券を買う側としてレースを見ていれば、競馬のドキドキ感やスリル感はさらに増していただろうなと想像しますし、

福永洋一元騎手は、競馬を魅せることのできる稀有な天才騎手だったと言えるかもしれません。

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